ベルリン会議のはじまる前の、ある夜、ビスマルクは、露西亜 ロシア の宰相ゴルチャコフと、私的の夜会をひらき、その席で骨牌をした。
ビスマルクとゴルチャコフとは、それ以前から親交があったというのは、ビスマルクが露西亜駐剳の独逸 ドイツ 大使としてペテルスブルグにいた時、ゴルチャコフは、その露西亜 ロシア の宰相であり、皇帝の無二の寵臣であり、欧洲最大の政治家、且 かつ 、大外交家として、国内にありては飛鳥をおとすような勢力を持ち、国外に於ては「政治外交の神様」とまで謳われていたところから、ビスマルクは、ほとんど師事するような態度で、ゴルチャコフに接し、その政治ぶりと外交ぶりとを自家の薬籠にとり入れ、ゴルチャコフも、その真摯な若きビスマルクの態度に好感を寄せ、何かと世話をしてやったからである。
ニューバランス1400 さて夫 そ れから長い年月が経ち、今回のベルリン会議が開催されることになり、ゴルチャコフは露西亜 ロシア を代表して、会議に列するため、ベルリンへ来たのであった。 ベルリン会議とは、露西亜 ロシア とトルコとが戦い、ステファノ条約によって平和となったところ、英国が、その条約に不安をいだき、抗議を申入れたのを、独逸 ドイツ のビスマルクが仲裁に入り、その相談をするための会議であって、これへは、ゴルチャコフやビスマルクのほか、オーストリアの宰相のアンドラシイ、英吉利 イギリス の宰相ジスレーリ、仏蘭西 フランス のワジントン、伊太利 イタリー のコルチ等、当時欧洲の堂々たる政治家たちが列することになっていた。 ところで、ゴルチャコフは、むかし、自分の門下であったビスマルクが、この会議を主催するというので、気をよくし、充分頑張ることが出来るものと安心していた。
しかし、この頃のビスマルクは、もう昔のビスマルクではなく、ナポレオン三世を屈伏させその鉄血外交の手腕を発揮しつつあった時であった。 さて、夜会の席で、ビスマルクとゴルチャコフとは骨牌をした。
その時のビスマルクの傍若無人ぶりはどうだったか? 骨牌を一々たたきつけて打つ、唾を吐く、はなをかむ、歯をせせる、豪然と笑う、相手を睥睨する、足踏みをして喚く、……非社交的の限りをつくしたことであった。 ゴルチャコフの驚くまいことか!(変わったなあ)と先ず思い(まるでタイラントだ)と思い、不愉快から次第に嫌悪となり、やがて恐怖となった。何故ビスマルクは、そんな非社交的の行動をしたのであろう?
http://www.newbalancejptop.com/ それは、(昔は昔、今は今さ、現在の僕は、むかし、ペテルスブルグで、君の靴の紐をといた時代の僕とは違うのだよ。そのつもりでね!) という意味を、あらかじめゴルチャコフに知らせ、その胆を奪ったのであった。 この事前の、ビスマルクの外交手段が功を奏し、ベルリン会議では、ゴルチャコフは、終始、意気銷沈し、ビスマルクに牛耳られた。 その結果、ステファノ条約は破棄され、露西亜 ロシア に不利の新条約が締結された。 どうも是 これ によると、外交官というものは、骨牌一つ打つにも、細心の注意をしなければいけないものらしい。
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