源氏の、空蝉と軒端の荻とに動揺する両様の心持ちなどは、たいした誤解なく説明して聞かされた事を覚えて居ます。又、うぢ/\顔もえ挙げないで、「覚後禅」の梗概に耳傾けた自分を思ひ出さずには居られません。
かうした先輩を持つた私の読書欲が、ませない訳はありません。乱読の傾向は、益々激しくなつて行くばかりでした。併し此が後々、<a href="http://www.newbalancejpheya.com/running_shoes-63-keywords.html"target="_blank">ニューバランス ランニングシューズ</a>
中学二年の時に父をいたぶつて大判の言海を買うて貰うて戻つた車の上の、ゑましい気分が思ひ出されます。その後一年目に河内へ嫁入つて居た姉の藪入りの時に、万葉集略解の四六判の洋本をゆすり得た時の気分も、まだあり/\と残つてゐます。
其後私の生活気分の底に万葉読みから浸み出たものが、ちび/\こびりついて来たのではないかと思ひます。
而も飽くまで幸福であつた私は、此等の乱読を整理する根本原理の様なものを、とり込む事が出来てゐました。其は、中学三年頃に死に別れた友人が、高等小学時代に私の何の本かと交換してくれた落合、小中村両氏の新撰日本外史並びに、四季に配当した表題の少年日本歴史とでも言ひましたか、雅文体の物から出てゐる様であります。だから、私は段々普通の書物好みから遠ざかつて行つた様です。「日本書紀葦牙アシカビ」と言ふ本を天王寺の古本屋から見つけて来て、神代の神の名をすつかり諳誦してしまひました。まるで小さい語部カタリベの様な姿です<a href="http://www.newbalancejpheya.com/n_b_574-127-keywords.html"target="_blank">ニューバランス 574</a>
私の歩んだ道が、私以外の人々にも正しいものとまで自信を持つてゐるのではありません。併しながら、私の考へ方は、この筋道に沿うて、出て来るものより外にはないはずです。
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