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今度思ひがけなく沖繩一見の旅に出るまでは、耻かしながら沖繩本島は淡路島か小豆島位の大さしかないものと思つて居たのであるが、成る程船の左舷の端から端へ連る此の海上に漂ふ長い朽繩の樣な「屋其惹ウチナー」の島は、長さ四十里にも近いと云ふのは本當だと思はれた。私共は何時も、九州の片端に小さく入れられてゐる此の島の地圖を見せられてゐるので、つい斯う云ふ間違つた考へを起してゐたのである。これと同じ樣なことは、曾て布哇の島へ行つて其の大きなのに驚き、米國に渡つて再び其の廣いのに魂消たのも、畢竟何れも日本や歐洲と同じ一ペーヂの地圖に收められてゐるのに見馴らされてゐた爲めに外ならない。
今一つは沖繩は珊瑚礁だと教へられてゐたので、水面からやつと浮き上つてゐる位の島かと思つたら、島の北の方には可成高い山が列なつて居り、中程から南は大分平であるが、そこさへ丘陵が高く低く參差してゐることであつた。朝の食事を濟まして急いで荷物を片付け甲板に出て、次第に近づいて來る沖繩の海岸、那覇の港を見入つてゐると、意地惡く時雨がパラ/\と降つて來る。
派出婦さんが、だんだん顔をあげて私を見て、笑顔になってものを云うようになった。そして、こんなことを話した。
「あたし、喧嘩する家はつくづく、やになっちゃうね」
夫婦喧嘩されると、どっちにどう云っていいのか分らないから困る。
「旦那さんと奥さんがガミガミ馬鹿にしてんのはいいけんど、奥さんが叱られると、きっとこっちへ当って来るから、ほんとにやになっちゃう」
旦那さんが細君にやられても派出婦なんかに当りちらさないが、細君はきっと当って来るものだそうだ。
「でも、御新婚なんかのところだと、あなたやきもちがやけない?」
「よくそう云われるけんど、あたしちっともそういう気持にならないわ。自分たちの仲だけのこんでこっちへ当って来ないもんね」
成程と、大いに笑って感服した。
柚子は世間のすねものである。超絶哲学者の猫が、軒端で日向ぼこりをしながら、どんな思索にふけっていようと、また新聞記者の雀が、路次裏で見た小さな出来事をどんなに大げさに吹聴していようと、彼はそんなことには一向頓着しない。赤く熟しきった太陽が雑木林に落ちて往く夕ぐれ時、隣の柿の木の枝で浮気ものの渡り鳥がはしゃぎちらしているのを見ても、彼は苦笑しながら黙々として頭をふるに過ぎない。そこらの果樹園の林檎が、梨が、柿が、蜜柑が、一つ残さずとりつくされて、どちらをふり向いて見ても、枝に残っているものは自分ひとりしかないのを知っても、彼は依然として苦笑と沈黙とをつづけている。彼は自分の持っているのは、さびしい「わび」の味いで、この味いがあまり世間受けのしないことは、柚子自らもよく知っているのである。
自分は一昨年の秋から、昨年の十月に懸け、一年間餘歐洲諸國を遊歴し、其傍巴里・倫敦・伯林・聖彼得堡等の國都で、先般燉煌及支那の西陲から發見されて、一時斯學界を賑はした、漢代の木簡、及びに書いた漢人の尺牘、六朝及び唐代の舊抄卷子本やら、且つ古抄本の一部を筆録して歸つた。又同時に歐洲に名高き支那學者の門を叩きて、其緒論を聽き、支那學を一科目と立てある大學若しくは東洋語學校などゝ名の附く所は、必ず參觀して、支那に關する各般の研究が如何に行はれつゝあるかを見て尠なからぬ利益を得たが、以下歐洲に於ける支那學の現状を國に順うて略敍して見たいと思ふ。
今日の我々は、背景を知らずに見るから、ばらっどとしての誇張と、純粋な劇的の構想にうつかりひつかゝつて了ふのである。時代が創作時代・抒情詩時代に入つてゐるのだから、都近くから出たばらっどが、如何にも修練と昂奮とで、技巧を突破した作物らしい色を見せる様になつてゐる。殊に中臣宅守に係つた巻第十五の主要部になつた連作の唱和などは、かう言ふ自身すら、疑はしく思ふ程の傑作揃ひである。併し、どうして其等の相聞歌が散逸せなかつたか、即興以外には纔わづかに宴遊の余興に於て、だが、はつ/\好事の漢風移植者たる大伴ノ旅人・家持一味の人々の文芸意識を持つての遊戯が見える位に過ぎない時代に、悲しみを叙して、繰りかへし贈答することがあつたとは思はれぬ。
畢竟ひつきやう、軽ノ太子の哀れな物語や、大国主の円満な恋や、仁徳天皇のねぢれた情史を謡ひ歩いて、万葉まで其形を残した性欲生活の驚異を欲した村の人々の心が、更に変態で、切実なものを要求した為に、ほかひゞとの謡ふ「物語」のくづれが、自然に変化して、創作気分の満ちたものを生み出すことになつたのである。
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