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近ごろ名探偵としてその名を売り出した警視庁警部霧原庄三郎氏は、よく同僚に向ってこんなことを言う。
「……いくら固く口を噤つぐんでいる犯罪者でも、その犯罪者の、本当の急所を抉えぐるような言葉を最も適当な時機にたった一言いえば、きっと自白するものだよ。ニューヨーク警察の故バーンス探偵の考案した Thirdサード Degreeデグリー(三等訊問法)は、犯人をだんだん問いつめて行って一種の精神的の拷問を行い、遂に実じつを吐かせる方法で、現にアメリカの各警察では、証拠の不十分なときに犯人を恐れ入らせる最良の方法として採用されて居おるけれども、僕はどうしても、「サード・デグリー」を行う気にはならない。そんな残酷な方法は用いないでも、極めて穏かに訊問して、最後に一言だけ言えば犯人は必ず自白するものだ。けれど、若もしその一言の見当が外れて居たら、こちらの完全な失敗であるから、更に初めから事件を検しらべなおさねばならない……」
霧原警部のこの特殊な訊問法は、警察界は勿論もちろん、一般法曹界でも極めて有名になった。そればかりでなく、犯罪者仲間でも評判で、霧原警部の手にかかったら所詮自白しないでは済まぬとさえ恐れられて居るのである。嘗
この奇怪きかい極きわまる探偵事件に、主人公を勤める「赤外線男せきがいせんおとこ」なるものは、一体全体何者であるか? それはまたどうした風変りの人間なのであるか? 恐らくこの世に於おいて、いまだ曾かつて認識されたことのなかった「赤外線男」という不思議な存在――それを説明する前に筆者は是非ぜひとも、ついこのあいだ東都とうとに起って、もう既に市民の記憶から消えようとしている一迷宮めいきゅう事件について述べなければならない。
これは事件というには、実にあまりに単純すぎるために、もう忘れてしまった人が多いようであるが、しかし知る人ぞ知るで、識しっている人にとっては、これ又奇怪な事件であることに、この迷宮事件が後になって、例の摩訶不思議まかふしぎな「赤外線男」事件を解とく一つの重大なる鍵の役目を演じたことを思えば、尚更なおさら逸いっすることのできない話である。
なんかと云って筆者わたくしは、話の最初に於て、安薬やすぐすりの効能こうのうのような台辞せりふをあまりクドクドと述べたてている厚顔こうがんさに、自分自身でも夙とくに気付いているのではあるが、しかしそれも「赤外線男」事件が本当に解決され、その主人公がマスクをかなぐり捨てたときの彼かの大きな駭おどろきと奇妙な感激とを思えば、一見思わせたっぷりなこの言草いいぐさも、結局大した罪にならないと考えられる。
外國の人もまた、マリヤ樣、エス樣が、たいへんありがたいおかたであるといふ事は、教會の雰圍氣に依つて知らされ、小さい時からお祈りをする習慣だけは得てゐながらも、かならずしも聖書にあらはれたキリストの悲願を知つてはゐないのだ。J・M・マリイといふ人は、ヨーロツパの一流の思想家の由であるが、その「キリスト傳」には、こと新しい發見も無い。聖書を一度、情熱を以て精讀した人なら、誰でも知つてゐる筈のものを、ことごとしく取扱つてゐるだけであつた。この程度の「キリスト傳」が、外國の知識人たちに尊敬を以て讀まれてゐるんなら、一般の聖書知識の水準も、たかが知れてゐると思つた。たいした事はないんだ。むかし日本の人に、キリストの精神を教へてくれたのは、歐米の人たちであるが、今では、別段彼等から教へてもらふ必要も無い。「神學」としての歴史的地理的な研究は、まだまだ日本は、外國に及ばないやうであるが、キリスト精神への理解は、素早いのである。
キリスト教の問題に限らず、このごろ日本人は、だんだん意氣込んで來て、外國人の思想を、たいした事はないやうだと、ひそひそ囁き交すやうになつたのは、たいへんな進歩である。日本は、いまに世界文化の中心になるかも知れぬ。冗談を言つてゐるのではない。
僕は本が好きだから、本の事を少し書かう。僕の持つてゐる洋綴やうとぢの本に、妙な演劇史が一冊ある。この本は明治十七年一月十六日の出版である。著者は東京府士族、警視庁警視属ぞく、永井徹ながゐてつと云ふ人である。最初の頁ペエジにある所蔵印を見ると、嘗かつては石川一口いしかはいつこうの蔵書だつたらしい。序文に、「夫それ演劇は国家の活歴史にして、文盲もんまうの早学問なり。故に欧洲進化の国に在ありては、縉紳しんしん貴族皆之を尊重す。而しかうしてその隆盛りうせいに至りし所以ゆゑんのものは、有名の学士羅希らきに出いでて、之れが改良を謀はかるに由よる。然るに吾邦わがくにの学者は夙つとに李園りゑん(原)を鄙いやしみ、措おいて顧かへりみざるを以て、之を記するの書、未嘗いまだかつて多しとせず。即すなはち文化の一具を欠くものと謂可いふべし。(中略)余茲ここに感ずる所あり。寸暇すんかを得るの際、米仏等とうの書を繙ひもとき、その要領を纂訳へんやくしたるもの、此冊子さつしを成す。因よつて之を各国演劇史と名なづく」とある。羅希らきに出いでた有名の学士とは、希臘ギリシヤや羅馬ロオマの劇詩人だと思ふと、それだけでも微笑を禁じ得ない。本文ほんもんにはさんだ、三葉さんえふの銅版画どうばんぐわの中には、「英国俳優ヂオフライ空窖くうかうへ幽囚いうしうせられたる図」と云ふのがある。その画ゑが又どう見ても、土つちの牢らうの景清かげきよと云ふ気がする。
東京に住んで十一年になるが、ずつと郊外だつたから私は東京の夏祭がどんなものかまるで知らない。私には東京の夏は暑くて殺風景だ。ごくまれに、手拭と黒褌とを入れた袋をぶら下げて神宮のプールに出かけ、歸りに新宿の不二屋あたりで濃い熱い珈琲をのんだり、冷房裝置のある映畫館へ涼みがてら出かけたりするのが、東京の夏の樂しみといへば樂しみだつた。
しかし、殺風景に感ずるのは私が田舍育ちだからで、東京生れの人にはもつと身についた微妙な樂しみがあるのだらう。私は生れ故郷と殆ど縁がなくなつた今でも、漠然と田舍の夏を豐富なものに感ずるのは、子供の時からそこに馴染んで來たからにちがひあるまい。
市内に住んでゐたこともなくはないが、學生時分のことで、夏休になるとさつさと田舍へ歸つて行つたから、東京の夏祭を知らないのも無理はない。私の田舍では、住吉神社といふ郷社の祭を「祇園さま」と呼んでゐた。まる一週間だから、隨分永い祭だつた。
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