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小伜の釣り

もう、長男が十二、三歳になっていた。私が、亡き父に伴われては河原の陽ひに照らされていた年頃である。子供が次第に大きく育っていくのを見るのは、何事にもかえがたい。その子が、不出来であろうが、まずい顔をしていようが、まず息災そくさいにすくすくと伸びていくさまを見るほど、心安さはないのである。子供を育てるのは畢生ひっせいの大事業だ。そして、それに天恵の快興が伴う。
 わが父も幼き私を、楢林の若葉のかげに、末たのもしく見たのかも知れない。
 私の長男も、私と同じように釣りが好きのようである。かつて、この子が五、六歳の頃、私は奥利根川沼田地先の鷺石橋の下流へ、山女魚やまめ釣りに連れて行ったことがあるが、それから一度も川へ伴ったことがなかった。けれど、尋常小学校五、六年頃になると、母親の眼を隠れては近くの池や川へ行くようになった。裏の薮から、篠笹しのざさを切ってきて、それに母の裁縫道具の中から縫糸を持ち出して道糸をこしらえては、鈎を結んで出て行った。夕方帰ってくると、広い台所の隅へ生きている鮒や鯰を入れた兵庫樽を置いて、時々ながめては楽しんでいる。

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程よい人

「あなたは仮面をかぶっていらした。その仮面を脱いで下さい。」

 泣きながら、京子は言うけれど、私としては、別に仮面をかぶっていたわけではない。ただ、最も穏当な方便を講じ、謂わば中道を歩いたに過ぎない。中道を歩く者に、どうして罪など犯せるものか。人々から非難される理由を、私は自分に発見出来ないのだ。
 或は、私は余りに謙虚な態度を装ったかも知れない。然し謙虚な態度というものは、如何なる場合にも尊重されて然るべきであろう。殊に、同僚から金を借りるような場合、どうして傲慢な態度など取れるものか。
 私はいつも、極めて静かに話をした。憐れっぽくもちかけて相手の心情を動かすというようなこともせず、深刻悲痛な調子で相手の同情を喚起するというようなこともせず、ただ静かに謙虚に話をした。つまり程好い話し方をしたのである。
 ――一万円ばかり、一カ月間、融通してもらえないでしょうか。

翻訳の価値

 日本の知識人の読書表には、実に翻訳がどっさり入りこんでいると思う。文学書にしても、日本ぐらい月々幾冊もの訳書が出版されているところは余り無かろうと思う。アメリカなどは、どっちかと云えば翻訳書が比較的どっさり出る方だろう。新しくて若いアメリカの文化はヨーロッパの文化の富から吸収するべきものを少からずもっているわけだし、ああいう社会生活の習俗では、イギリスの読書人たちのようにフランス語やドイツ語の知識を不可欠に考えてもいないだろうから、特にフランス文学の翻訳などは相当広汎によまれることが想像される。

 ソヴェトもきっと随分どっさりの翻訳書を出版しているだろうと思う。文化の各部門に亙って代表的な古典だの全集だのが翻訳されて、夥しい部数で一般の日常生活の中へもたらされている。ここでは、文盲退治で字がよめるようになった人たちがいきなり最高の古典にふれて行ってトルストイの小説をよむと同時にゾラをもよむという独特旺盛な興味ふかい文化摂取の道を辿っている。

パンの会の回想

 北原君。折角の御頼みだが、僕は十数年来の日記帳手帳の大半を東京の震災で失つたからパンの会の詳しいことはいま確実に思ひ出すことが出来なくなつた。それでも丁度明治四十二年と、四十三年との日記が残つてゐたから、そのうちに記されてゐる分だけを拾ひ出して見よう、尤も日記もあまりていねいには附けてないから脱けてゐるところが多い。

 四五年前まではあの時代を懐しいことに思ひ、時々回想したが、今はもうあまり時が隔つてしまひ、大して興味を感じない。
 何でも明治四十二年頃、石井、山本、倉田などの「方寸」を経営してゐる連中と往き来し、日本にはカフエエといふものがなく、随つてカフエエ情調などといふものがないが、さういふものを一つ興して見ようぢやないかといふのが話のもとであつた。当時我々は印象派に関する画論や、歴史を好んで読み、又一方からは、上田敏氏が活動せられた時代で、その翻訳などからの影響で、巴里の美術家や詩人などの生活を空想し、そのまねをして見たかつたのだつた。

万物の声と詩人

 万物自おのづから声あり。万物自から声あれば自から又た楽調あり。蚯蚓みゝずは動物の中に於て醜にして且つ拙なるものなり。然れども夜深々窓に当りて断続の音を聆きく時は、人をして造化の生物を理する妙機の驚ろくべきものあるを悟らしむ。自然は不調和の中に調和を置けり。悲哀の中に欣悦を置けり。欣悦の裡に悲哀を置けり。運命は人を脅かすなり、而して人を駆つて怯懦卑劣なる行為をなさしむるなり。情慾は人を誘ふなり、而して人を率ゐて我儘気随のものとなすなり。自然は広漠たる大海にして、人生は廷々てい/\たる浮島に似たり。風浪常時に四囲を襲ひ来りて、寧静ねいせいなる事は甚だ稀なり。四節は追はずして駿馬しゆんめの如くに奔馳ほんちし、草木の栄枯は輪なくして廻転する車の如し。自然は常変なり、須臾しゆゆも停滞することあるなし。自然は常動なり、須臾も寂静あることなし。自然は常為なり、須臾も無為あることなし。その変、その動、その為、各自一個の定法の上に立てり、而して又た根本の法ありて之を支配するを見る。淵に臨みて静かに水流の動静を察するに、行きたるものは必らず反かへる、反へれるものは必らず行く。

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